History of Suits – スーツのルーツ

日本ではビジネススーツが仕事着として強制され、平成大不況で長時間労働・サービス残業・パワハラ・リストラと様々な問題が起こる一方、ベンチャー企業を中心にラフなスタイルの起業家が注目を集めたことで、ビジネススーツは仕事の負のイメージの象徴になってしまった感もあるが、もともとはリラックスするためのカジュアルウェアが起源で、イギリスの中産階級が貴族階級を模倣したダンディズムで洗練され、実用的に進化したインフォーマルなスタイルで、洒落男が追い求めたトレンドファッションの行き着いた先にあるものだったりする。

スーツのルーツ

現在のスーツは19世紀中頃の正装だった フロックコートをカジュアル化した ラウンジジャケット が原型と言われており、当時はリゾート地などで着る完全なカジュアルだった。

スーツの歴史は 英国を中心に語られることがほとんどで、現在のスリーピース「ジャケット+膝丈のズボン+ベスト」は17世紀のイングランド王 チャールズ二世が行った「衣服改革宣言」に端を発し、ラウンジジャケットの起源も チャールズ二世が確立した(History of suits)とされている。

洒落男だったチャールズ二世が導入したスタイルは、フランスの太陽王 ルイ14世が宮廷服として導入した「ジュストコール」を模倣したものだが、18世紀頃には英国で乗馬用として発展したライディングコート(ルダンゴト)がトレンドになり、男性のモードは英国が牽引するようになる。

18世紀から19世紀にかけてライディングコートが簡素化され、軍服の影響を受けつつ 機能的になったフロックコートが誕生し 宮廷服や軍服として定着する。
フロックコートはウエスト部分がシェイプされた フィット感のあるロングジャケットで、デザインはシングルブレストとダブルブレストがあり センターベントになっていた。

フロックコートは現在のスーツの上衣に相当するもので、防寒用にはフロックコートの上に羽織るオーバーフロックコートがあり、オーバーフロックコートはシングルブレストが基本形で、フォーマルの場合はピークラペル、インフォーマルな場ではノッチラペルのものを着用していた。
19世紀中頃には当時のファッションリーダーでもあった  ジョージ・スタンホープ 第6代 チェスターフィールド伯爵 がオーバーフロックコートやラウンジジャケットをベースにした オシャレなオーバーコートを作り、その名を取って「 チェスターフィールド コート」として流行、現在もトップコートの定番として人気がある。

18世紀末には乗馬しやすいようにフロックコートの前身頃をカットしたテールコート(燕尾服)が現れ、フロックコートの丈を短くした乗馬用のジャケット(スポーツコート)が普及。

当時 イギリスで一大ブームとなったのが、中産階級(ブルジョアジー)が貴族を模倣した「ダンディズム」で、そのファッションリーダーが平民出身の ボー・ブランメル 。
ブランメルは 綺麗な身なり、優雅な立ち居振る舞い、見事な話術と ダンディズムを体現した存在で、テールコートを流行させた立役者と言われている。

19世紀の中頃には テールコートが男性の夜会服(イブニングコート)として定着。
更に テールコートの前身頃を水平ではなく斜めにカットした スタイルが 朝の乗馬の服装(モーニングコート)として人気を博し、当初はインフォーマルだったが19世紀末には正装になる。

この頃に普段のスタイルとして ブルジョアジーが着用したのが、 ジャケットと共地でベストとパンツを揃えた ラウンジスーツで、シングルブレストのボタン位置は高めだが、ダブルブレストのスタイルもあり、ほぼ現代のスーツに近いスタイルになる。

19世紀の後期にはイギリスで喫煙の習慣が広まり、晩餐会ではテールコートを着用し 食事の後 喫煙室などで煙を楽しむために スモーキングジャケットへ着替えるようになって、ラウンジスーツとは別にスモーキングジャケットがファッション化。
英国王 リチャード七世の 濃紺ジャケットに黒のトラウザーズ、ボウタイ(蝶ネクタイ)というスタイルが ディナージャケット(タキシード)として流行し、後に黒のタキシードが正装として認知されるようになる。

参考:ハーディ・エイミスのイギリスの紳士服

軍服との関係

スーツの起源とされているフロックコートは フォーマルウェアであると同時に、軍服としても利用されており、宮廷服のスタイルとは別に機能性を重視した戦闘服として進化していく。

英国を代表するブランド バーバリーの創業者 トーマス・バーバリーは、耐久性・保温性に富んだ綾織の「ギャバジン」を開発し、防水加工を施したギャバジンを使用した軍用コート「タイロッケンコート」を制作。 更にタイロッケンコートをベースに、第一次世界大戦では 陸軍が塹壕(Trench)で使用するための「トレンチコート」が誕生し、この軍用コートがファッション化して現在では定番化している。

また、メタル釦でダブルブレストのリーファージャケットは、1800年代の英国海軍のガンボート(砲艦)HMS Blazer の 艦長が乗組員に揃えたことが流行し、「ブレザー」と呼称されるようになったと言われており、この出来事が後に海軍の制服としてセーラー服の支給へとつながっていく。

ディテールとスタイル

にスーツのスタイルに歴史があるのと同様、スーツのディテールや着こなしにも 様々な由縁がある。

センターベント と シングルスーツで 一番下の釦を外す理由

シングルスーツで一番下のボタンを留めている新入社員を たまに見かけたりするが、シングルスーツは一番下の釦の上から フロントカットのカーブが始まっているので、型紙的に一番下の釦は留めないように仕様になっている。

シングルスーツの丸いフロントカットはモーニングコートの影響を受けており、当初のモーニングコートがフロックコートのフロントカットを丸くし、カット部分にもデザインとして釦が配置されていたため、その名残りとして現在もフロントカット部分に釦が付いている。

英語では「シングルベント」と言われる センターベント の別名は「馬乗り」。

乗馬用のモーニングコートは フックベント になっており、センターベントはフロックコートの基本デザインだが、仕様はわずかに異なるものの 元は 乗馬の際に裾周りが引っかかるのを防止するためのデザインなので、椅子に座る際などは シワ等になりにくいというメリットがある。

米国ではブルックスブラザーズのセンターベントの サックスーツが一世を風靡して アメリカントラッドの 源流となったことからポピュラーな仕様で、シングルスーツの標準になっている。

サイドベンツと右前身頃に釦がついている理由

男性のスーツは右前身頃に釦がついており、左前身頃が上に重なるようになっている。
これはサーベルは左側に下げるのが一般的で、サーベルを抜きやすくするデザインの名残り。

英語では「ダブルベンツ」と言われる サイドベンツ の別名は「剣吊り」。
フロックコートなどの軍服でサーベルを挿しやすくしたデザインを模したもの。

米国ではサイドベンツは 英国風 のデザインとされており、カスタムメイドでオプション扱いになっているところもある。
センターベントと同様、裾周りの調節機能があるので 椅子に座る際などは シワ等になりにくく、ズボンのポケットへのアクセスがしやすいのがメリット。

ベストの一番下の釦を留めない理由

ベストの一番下の釦を外すようになった理由について、英国 エリザベス二世のドレスメーカーだった ハーディーエイミスの著書 「ハーディ・エイミスのイギリスの紳士服」には、クリストファー・ヒッパートの著作「エドワード七世」からの引用で、 20世紀初頭にイギリス王になり 皇太子時代からファッションリーダーだった エドワード7世が発端だと記している。

日英同盟 , 英仏協商 , 英露協商 を締結してピースメーカーと呼ばれる外交手腕を発揮し、国民にも愛されていた エドワード7世は、ファッション関連の逸話も多く、インドへの航海時に着用したディナージャケットが後のタキシードになった事は前述のとおりで、他にも皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)時代からグレンチェックの服を愛用したことから、グレンチェック柄が「プリンス・オブ・ウェールズ チェック」と呼ばれたり、ウエストバンドがあるノーフォークジャケットを好んで着用したことから英国で流行したり、緑の羽根のチロリアンハットを被った写真が掲載されると 同じような帽子が飛ぶように売れたりと、その影響ぶりは推して知るべしといったところ。

皇太子時代のエドワード七世は 1日に5回の食事をする大食漢で、その影響もあって恰幅が良いのだが、お腹が出ていると身体にフィットするベストは結構 辛いものがある。

「一番下の釦を外したままのほうが着やすいし エレガントでもある」

「エレガント」の部分は 負け惜しみのようにも感じるが、このエドワード七世の一言が流行を呼び、英国紳士はベストの一番下の釦を留めないようになり、現在もエドワード七世に敬意を表しているのか ベストの一番下は  留めない釦(捨て釦)にしているデザインが多い。

ラペルの形状

スーツの衿には 上衿(カラー)と下衿(ラペル)があり、ラペルには「ノッチドラペル」「ピークドラペル」があるが、どちらも「前を開けた」状態がデザイン化したもの。

「ギリー」はスコットランドのハイランド川やスペイ川で釣りや狩猟を行う雇用主に付きそう従者が使用したゲール語で「雇用主」を意味しており、ギリー・カラーは主にハンティングジャケットに使用され、悪天候時などに衿の釦を留めることができた。

ハーディー・エイミスによれば ノッチドラペルは ギリーカラーを折り畳んで シャツやネクタイを見せたものが原型となっている。

ピークドラペルは軍服の影響を受けたダブルブレストのフロックコートの上の釦を外して折り返した形が原型で、それがテールコートのデザインとして採用されたため、ピークドラペルの起源を燕尾服と記載しているところも多い。

ディナージャケット(スモーキングジャケット)はショールカラーなので、当初のタキシードはすべてショールカラーだったのだが、20世紀初頭 タキシードが正装として認知されるのと同時期にピークドラペルが加わっている。

ラペルのボタンホール(フラワーホール)

ノッチドラペルにもピークドラペルにもボタンホールが付いているが、これは前述の通り もともとは首の当たりまで釦で留めていたものの名残りで、現在はボタンホールといっても切れ込みすら入っていないものも多い。

このラペル部分のボタンホールは フランス語で「ブートニエール」、日本では「フラワーホール」と呼ばれており、日本でブートニエールというと釦ホールに飾る花、もしくは 花のピンを意味している。
ブートニエールは1455年 英国の ランカスター家 と ヨーク家 の間で行われた権力闘争「 薔薇戦争 」で、ランカスター家 が「赤薔薇」、  ヨーク家が「白薔薇」の紋章を付けた軍服を着用していたが、軍服が支給されない兵士は 敵味方を識別するために 「赤薔薇」「白薔薇」の飾りを作って 服に付けていたのが起源だとか。

この手の装飾品にはロマンチックな真偽不明の逸話がつきものだが、英国のヴィクトリア女王 は結婚して1年後の写真撮影の際、愛の証として夫のアルバートへ花を贈り、アルバートが衿に穴を開けて花を挿したことで ブートニエールがブームになったとか。

海外では第二次世界大戦以前は フォーマルな場だけでなく、仕事やプライベートでもブートニエールを付けていることも多かったようだが、大戦後はフォーマルなシーンで使用している人がいる程度で、現在はビジネススーツに社章をつけている人も少なくなっている。

Suits
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